Magic Mountain Way

猫を散歩させる宇宙人

春の日曜日の朝食の時だった。食卓の眼の前に座る妻が味噌汁を啜りながらこう告げた。

「利紘さん。言ってなかったけど私、宇宙人なの」

「ふうん。あ、お醤油取って」

「刺身醤油?」

「目玉焼きにかい? 普通の」

「はい」

そのまま黙々と目玉焼きと焼きウインナーを口に放り込んで噛んでから白米を掻き込む。よく味わい呑み込んでから妻に問いかける。

「金星人かい?」

「何が?」

「キミが宇宙人って話。それとも外宇宙のなんちゃらとか」

「金星人は二丁目の山岡さんの家のラッシュさんよ」

「サモエドの?」

「そう、元は外交官だって。引退したけど。私はアーエグヤ星のB国から来たの」

「へえ、御馳走様。今日はモール行くけど何か買うものある?」

「ミネラルウォーターとアンジーさんのキャットフードお願い、『メチャうまマグロフィーバー』ね」

「はいはい。ん、アンジー〝さん〟?」

「あ、アンジーは交代してニャランテバ星雲から同個体の留学生アンジーさんが来たのよ、よろしくね」

「……」

◇◇◇

ショッピングモールの喫煙所で煙草を喫いながら今朝の事を考えていた。

妻はどちらかと言えば夢想家気質で、フランス革命の映画を観てから三ヶ月は「私はマリー・アントワネットの生まれ変わりなの」と言ったり、九尾の狐が閉じ込められた石を見に行ったら「わらわは玉藻の前であるぞ、頭が高い」と言ったり、少々いや結構〝痛い〟おばさんではある。

勿論、近所でそうは言わないが家の中ではこのようなものだった。同級生からの付き合いであり幼い頃は真面目な学生だったのだがその反動だろうか。

駐車場へ停めた車へ戻る途中に知り合いに会った。

「南田さん、お買い物ですか」

「あ、山岡さん。ラッシュも」

今朝の話のサモエドのラッシュを連れたご近所さんだ。ラッシュは人懐っこく遊ぼ、遊ぼ、と白いもふもふの毛並みの大きな身体を預けてくる。

私がラッシュを撫でながら訊ねる。

「ドッグランですか」

「ええ、モールの隣でしょう。カミさんと娘はファンシーグッズの店に行って、ラッシュと私はのんびりと」

「へー、よかったなーラッシュ」

ラッシュが甘えた鳴き声で頭を擦り付ける。ふと、小声で訊いてみた。

「……元外交官ですか」

「南田さん?」

「ああ、いや、何でも」

山岡さんもラッシュも首を傾げた。

◇◇◇

翌日の朝。悪夢を見ていた。

私自身が宇宙人である事が周囲に露見して追われるというものだ。私はトカゲの顔の宇宙人になって走っている。上から招き猫型の宇宙船が降りてきた。押し潰される。にゃあにゃあと警告音声が響いていた。

にゃあにゃあが夢を壊し、現実に降って来る。

「にゃあ」

「うーん……」

「アンジーさん、利紘さん起きたかしら」

「にゃあ」

「何で、布団の上に、アンジー、乗ってるの……」

「にゃあ」

「アンジーさんを散歩させるから起きてご飯食べてね」

「あい……」

「にゃあ」

アンジーが布団から何処かへ行くと、寝ぼけ眼のままトイレに行き手と顔を洗い歯を磨く。

妻は玄関でアンジーに散歩用のハーネスとリードをつけている。その三毛猫の身体はしなやかに伸びて言う事をきいている。

「行ってきますね」

「にゃあ」

「行ってらっしゃい」

今日はトーストとスクランブルエッグが用意されていた。電子レンジで出来る即席の豆スープを仕掛けて、私はケチャップを冷蔵庫から取ってきてスクランブルエッグにかけた。

着替えてアイデアをまとめつつキーボードを叩き原稿を書く。休憩にコーヒーを淹れていると妻が帰って来た。

「ただいま」

「おかえり」

妻が興奮気味にこちらを見ている。

「吃驚したわ」

「何が」

「アンジーさんが外で喋ったの」

「あちっ」

「大丈夫? 零れたわよ」

「だいじょうぶ……続けて」

「宇宙人である事を公共の場で地球人に知られたら政府の外部機関から母星へ強制送還なんだけど、『亡命したい』って泣きながらよ」

「にゃあ」

妻の傍にアンジーが寄ってきた。

「アンジー、お前は本当にそんな事言ったのか」

「外交問題だからあなたにも言えないのよ」

「じゃあ、じゃあ、じゃあ! 何で! 僕には、キミは、宇宙人って言ったの! こっちはもう、うんざりだよ!」

私は思わず感情を爆発させてしまった。これ以上、妻の妄言に付き合っていると頭がどうにかなりそうだった。妻が呆れた顔で私を見る。アンジーもだ。

「何も大声上げなくても」

「はあ……もう良い、気分転換に喫茶店行ってくる、買うものは?」

「サンドウィッチと牛乳」

「ツナとたまごの?」

「お願い」

◇◇◇

あの日以来、妻は大人しくなった。相変わらず猫を散歩させているが、「宇宙人」がどうたらこうたらとかは言わなくなった。

編集者が家に訪ねてきて打ち合わせをする。妻がコーヒーを出して下がっていった。

「相変わらず綺麗な奥様ですね」

「いや、もうおばさんだよ」

「でも、先生の同級生って、七十ですよ!?」

「そうだが」

「えっ、二十歳そこらにしか見えないって何です!?」

「にゃあ」

「あ、アンジーおいでーどちたのー」

「キミは猫好きだね」

「この子、好きなんですよ」

「打ち合わせに来たんじゃないのかな」

「そうですよーかわいいねー」

「まったく……」

編集者が帰ると妻が猫を連れて散歩に行った。何となくだが後をつけた。

住宅地を抜けて河川敷へ行く。等間隔に植えられた桜が咲いている。しかしながら、ソメイヨシノの寿命は短く枯れた老木となったものは伐採されているものも多い。

すると、切株となったそれにハーネスをしたアンジーが器用に後ろ脚を曲げて腰掛けた。

『トシヒロは気付いているのだろうか』

――猫が喋った。妻が屈んで返事をする。

「さあ、でも私の違和感に対する防御壁が薄まりつつあるのは確かですね。今日来訪した編集者は同胞に記憶操作を任せますが」

『同盟国のキミの働きは信頼しているよ』

「恐縮です」

『しかし、良い惑星だよ。ワタシは花を愛でる事がこんなにも素晴らしいとは思えなかった……』

アンジーが桜の花を見上げる。水色の空に映える落ちていきそうな桜の渦――妻が微笑む。

「利紘さんもいつか気付くでしょう、自身の〝正体〟に」

『彼は何処の星の者だったかな』

「利紘さんは――」

最後迄、聞かずに私はゆっくりと立ち去り、徐々に足早に、次第に駆足で家路を急ぎ帰って行った。

私の後ろに伸びる影から爬虫類めいた尻尾が見えたのはすれ違う人が気付いていたかも知れなかった。

(初稿:2026/04/05)

back