Magic Mountain Way

陽はまた昇る

「蜘蛛ってコーヒーで酔うって本当かな」

「何で、アタシに訊くかね」

彼女は右手で空のマグカップを持ち左腕を伸ばして上の棚の本を取っている。

僕はジンジャークッキーの瓶を持ってきてリビングの炬燵の上に置く。僕はコーヒーが苦手なのでティーバッグの紅茶にしている。彼女がコーヒーを淹れて炬燵に潜ると同時につけていたテレビでは暗い戦争のニュースが飛び込んできた。

「ティウナちゃん、チャンネル変えよっか」

「別に良いよ」

テレビに映る彼女の母国は民族間の小競り合いがきっかけで現在大きな戦争と化し大国の代理戦争にもなりつつある。僕は実家が留学中のホストファミリーとなっている事で彼女と友人になり、自然と恋人になった。

ティウナちゃんがコーヒーを啜り首を回して伸びをする。そして大きな二つの碧い瞳でこちらをちらりと見る。

「読めるからね」

「はいはい」

ティウナちゃんがクッキーをつまみながら本を読む。大分と言葉には慣れたものだったが、文字は解らないというので古いショートショートを貸している。読み易いだろうと思ってすすめたら一気にハマってしまった。

彼女が胸にチェーンで下げていた眼鏡をかける。若いし老眼という訳ではないが遠視という事なのかリーディンググラスか、訊いた事はないが僕は近視の眼鏡族なので違うのかも知れない。

読み終えた本を閉じたティウナちゃんが問いかけてきた。

「この作者はもう居ないの?」

「居ない……ああ、十年ぐらい前に癌だったかな、ニュースで見たよ」

「古い作品だと思うけど面白い、ただ価値観とかは五十年ぐらい前のものかな」

「たとえば?」

「んー、『これだけの金を持って故郷に帰ればおふくろに楽をさせてやれる』とか、今時では言わないかな」

「外国人のキミが言うかね」

少し呆れて紅茶を啜る。彼女はクッキーを食べる。

「アタシの国では高等教育終えれば親から自立するからね、大学に行って就職しても五年は学び直せるし、親もセカンドライフ。アタシも今は大学から留学してるけど就職した出版社に籍はあるし」

「へぇー」

「みんな、元気かな」

「……」

「しんみりしないでよ」

「食べに行く?」

「『シチセイ』行こうよ、久し振りに〝しうまい〟食べたいな」

◇◇◇

焼売や回鍋肉、麻婆豆腐を食べて店から出たら雪が降ってきた。今年は暖冬との予報だったが随分と寒い。

「ティウナちゃんの実家は雪降る?」

「南の地方だからね、雪は北の山に行かないと降らない。初めてここで見た時は感動したけど今年は憂鬱」

「雪かき、ね」

「こたつの有難さが身に染みたわ」

「今日はもう家に帰る?」

「ううん、今日は慎司くんところに行きたいな。おばさんにも電話するし」

「うん……」

僕のマンションに帰るとお互いにソファに並んで抱き締める。

ティウナちゃんはすらりとした背で無駄な肉が一切なくまるで芸術の都のモダンアートの絵画から飛び出したかのようだ。これで健啖家なのだから何処に食べ物が収まっているのだろう。

そこに映える長い腕と長い脚、爪をお洒落するのが好きで手指の先はそれぞれ違う色に塗って足は眼を引く燃えるような赤に統一されている。

黒い髪は魔術師のように長いが、最近になって切ろうかなとぼやいている。

抱き合いながら口付けを交わす。

「ちゅ」

「凄いね……僕もだけど美味しい匂い」

「デリカシーないんだから」

「お互い様でしょ」

そう言って笑い合う。すると彼女が僕の左手を取った。

「慎司くん……」

「うん……?」

ぼんやり見ていると彼女は手に取った僕の指先を口に銜えて舐め出した。

「くすぐったい、でも凄い……何て言うのかな、いけない事をしてるみたい……」

「……たまには意地悪したいの」

心臓に近いと呼ばれる指を甘噛みされた瞬間、胸が痛くなったような気がした。

「ふふっ……」

「うわぁぁ……」

ティウナちゃんはそのまま手を口から離すと少し僕から距離をあけてソファから下りた。

「口、漱いでくるね」

「はい……」

彼女に支配されたい欲求があるのか、訊いた事はないし知りたくはないけど、手や足にキスをするのは相手を崇拝する意味があると聞いた事がある。

有名な映画の中に跪きマフィアのボスの手に口付けて忠誠を誓うものがある。

僕はどっと疲れて溜息をついた。

◇◇◇

深夜、寝室の布団で二人で包まっていると隣で呻き声が聞こえ始めてきた。彼女の母国語だ。夢を見ているのだろう。辛い夢か。ティウナちゃんの顔を見ると眠りながら涙を流していた。

『ママ……あいたい……』

僕にも解る言葉でそう呟いた。そっと抱き締めて呼吸を合わせる。昔、母が教えてくれた方法だ。ゆっくりと深く吐く息、深く吸う息を合わせていくと彼女は落ち着いて寝息を立てた。そっと指先で涙を拭い。立ち上がる。

間接照明だけをつけて炬燵の上に置いてあったショートショートを手に取り開く。何度も読んだ内容だったが、後書きが眼についた。

『今、これを書いている書斎からは朝陽が昇ろうとしているのが見える。深い青が薄桃色に変わり圧倒的な温度が世界を照らす。今日も、陽が昇る。陽はまた昇るのだ。このちっぽけな私を乗せた世界を、弾が尽きた兵士が見上げる戦場の空を、長い漁から帰るひとを乗せた船の上を、それらに気付かなかった私の部屋の窓から、いつもと変わらず』

本を閉じる。

彼女の前では喫わないと決めていた煙草を取り出し換気扇の下で喫う。紫煙が消えていった。

(初稿:2024/10/17)

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