親友がバイク事故に遭ったらしい。
〝らしい〟というのは山道で大破した彼のバイクと路面に残った夥しい血溜り、ガードレールの際から藪の中へ引き摺られた痕。
最初にバイクが鹿にぶつかった後に意識がない中で熊に纏めて仕留められたか、と思われたがバイクのドライブレコーダーを確認すると信じられないものが映っていた。
◇◇◇
バイクが風を切り走って行く。行き過ぎる山並み、鼻歌も聞こえる。しかし、突如響く彼の叫び声と飛び出した鹿。ぶつかってバイクごと転倒した彼が向こうに映る、ガードレールにぶつかり横たわり動かない鹿。ちょうどドライブレコーダーは横になって前方を映している。
しばしの静寂。彼が呻き声を上げるも立ち上がる事はない。鹿は呼吸すらしていない。
すると、藪を搔き分ける音がしたと思うと山から伸びた巨大な緑の手が鹿を摘まんでそのまま引き摺り寄せた。
ばきばき、ぐちゃぐちゃ、がりごり。咀嚼音。
再び、静寂が包んだ。彼の呻き声さえ聞こえなくなった。
動かない彼に手が伸びる。何かを確認するように。何度もつんつんと。
山鳴りのような音、いや〝声〟が響いた。
道路に裸足の足が置かれた。巨大な巨大な緑の足が。
〝それ〟がしゃがむ。
下から肉付きのある下半身、弛んだ腹、豊かな乳房を持った長いざんばら髪の一つ眼の緑の巨人女が彼をやさしく手のひらに乗せた。愛し気に頬ずりをする。
踵を返し〝彼女〟は山へと帰って行った。
◇◇◇
警察から返却された映像を、下世話なマスコミが入手し悲惨な事故よりも信じられない怪異への騒動として世間を騒がせた。
あれは一体何だ、と生物学者や妖怪作家が喧々諤々。テレビ局が麓の村へ取材へ行き山狩りに近いものも行われたが結局、巨人女も彼も見当たらなかった。
一年も経つと人間というものは薄情なもので、あれだけ騒いだ事も次の騒動に飛びついて忘れ去っているものだ。こう言っては何だが私は親友の事を論じなかった連中に嫌気が差していた。
秋口、彼が事故を起こした道にある山を私は登っている。巨人女が彼を連れ去った山だ。
彼は死んだと思い、好きな酒を持って山頂で献杯と考えていた。
学生時代から壮年になる迄、喧嘩もして仲違いもした。それらも旨い酒を酌み交わして笑い合って忘れ合った。互いにバイクが趣味で彼が怪物のようなマシンを購入した時は呆れたものだが、いつか全国一周に行こうと言ったものだった。
登山道が整備されている訳でもない、学生時代に登山部だった事の杵柄で登っている、息が切れる。しかし、進む。
そこを抜けると、山頂に着いた。
私は彼の名前を呼んだ。
「おぉーい……」
『おぉーイ……』
信じられなかった。山彦ではない。彼の声だ。遠くから山林をすり抜けるように緑の巨人がこちらへ歩いてきた。隣には一つ眼の女性の緑の巨人が居る。私の前に立った彼が見下ろしながら笑う。顔は緑色だが全く同じ顔、親友の彼の笑顔であった。
「お前なのか……」
『おれだよ……だイぶカワっタガナ』
「そっちは」
私が隣の巨人女を指差す。彼女が一つ眼を綻ばせて笑った
『カミさん、人げんのことバハしャべれんよ』
「お前も怪しいな」
私は彼と一緒に笑う。不思議と不気味さはなかった。
「彼女は何だ、神さまか妖怪か」
『サア、もうワカらん。ヤマツミじャアナイカ』
「やまつみ? 〝山祇〟って山の神様だろ? 魅入られたって訳か」
『マア、おれもその内おナジニナるよ、それニ、ハラのナカニこどもガイるんダよ』
「……おめでとう、幸せにな。そうだ、酒。呑んでくれ」
『アリガとう』
蓋を開けた酒を渡して彼と彼女が指先に垂らして舌先で舐める。笑った二人が薄れるように消えていった。山頂からは夕陽が見えていた。
(初稿:2026/05/11)
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