雲一つない夜空、様々な色の星が闇に軌跡を作る。シュウザブロウの胸の中の抱袋で眼を輝かせるカンザが振返り腕の先の鉤爪で空を差す。
「ねえ、シュウザブロウ。シュウは空の向こうから来たってほんとう?」
「本当でございます。私は空から落ちてしまったのでございますよ」
「かわいそう……ねえ! いつかあたしが飛べるようになったら連れて帰ってあげる!」
「それは……さあ、カンザ様。早く帰りましょう。ジュロ様に叱られてしまいますよ」
「やーだ! まだ流れ星見るんだもん! じいやだってゆるしてくれるわ」
◇◇◇
「あぁ、今日からは〝流星の十夜〟だったか」
「そうでございますよ、ミトイ。たまには空を見上げてみては如何ですかね」
「十年に一度の十日間だ、今は空襲の光の方が星より強いさ」
窓の外の空、久しく忘れていた流星群の光を見ながらミトイは鉤爪の先で嘴を掻いた。王室管轄の歴史編纂室にはこの国の住人ではないもう一人が居る。背中に翼はなく、腕の鉤爪の代わりに引き裂けそうな柔い肌の五本指、のっぺりとした果実のような顔に癖毛の黒髪。名はシュウザブロウという。
ミトイを含め多くの国民はシュウザブロウが何者かは知らない。この惑星に生きるものは弱く小さく偉大なる祖先である『鳥』から進化し文明社会を築き上げた知的生命体が支配している。『魚』や『ネズミ』、『ウサギ』に『蛇』や『トカゲ』は食糧だ。
シュウザブロウのような種は誰も見たためしがなく、知識と知恵を有するので何より無下に出来なかった。
ミトイが星の落ちる光を見ながら器に入った豆茶を節の空いた細筒で啜る。歴史編纂室は資料や機械への影響で原則飲食喫煙禁止であったがそれを遵守する者は殆ど居ない。王室の役職で言えば出世街道から落伍した者の救済か次の職探し迄の腰掛けに過ぎない。
そんな中で出会うのは、シュウザブロウというこの資料の海の番人めいた存在だろう。噂は色々とある。彼が空から落ちて発見されたのは数百年も前だとか失われた前文明の遺跡で動いていた生体人形だとか、事実現在まで続く終わる事のない長い戦争の勃発時には王室に仕え数十年後に生まれた王女の世話係をしていた。その間、彼は不老であった。
編纂室の扉が勢い良く開いて少女の声が響いた。
「シュウ! 遅いよ、もうすぐ球戯場で宙球の試合が始まっちゃうよ!」
「カンザ様、何度も申し上げておりますが扉の開閉はお静かに」
「カンザ王女……このようなむさ苦しいところへ……」
狼狽するミトイに王女と呼ばれた長い銀髪に白い羽根の身体に頭部に銀の色と黒い色の長い飾羽根が特徴的な鋭い嘴と赤い模様の頬の鳥の少女カンザがシュウザブロウに対してぷりぷりと怒る。ミトイには相対するのも畏れ多い王族だったがシュウザブロウは彼女の傅役だ。カンザがその腕を組みシュウザブロウを睨み付ける。そして腕の先の鉤爪でシュウザブロウの腕を引っ張る。
「ほらほら、今日の一番は贔屓のニラウ選手なんだからぁ。あ、ミトイ。片付けよろしくね」
言うが早いカンザはシュウザブロウをそのままの勢いで連れ去っていった。残されたミトイはやれやれといった感に溜息をついた。
◇◇◇
王位継承権で言えばカンザは兄が三人居り低い地位にあるがそれでも国民の模範たるべき存在ではある。しかしながら、生まれついてのやんちゃ気質で雲をつく断崖絶壁の霊峰を独りで彷徨ったり危険な化学実験をこっそりとやって爆発騒ぎを起こしたりとほとほと呆れられていた。そして成人を迎える前年の去年は「王室を離脱してシュウザブロウと結婚するわ!」と宣言し父王の腰を抜かした。以来、事実上の勘当で身内からは腫れもの扱いされ下男下女と傳役のシュウザブロウが世話に奔走していた。
ここは青空市場、暑い盛りに実った甘い果実や港湾の海で捕れた海産物が並び活気に溢れている。日除けの天幕の下の簡易椅子と机の上に器に盛られた小さく切られた赤い果肉の果物が置かれてそれをカンザが串で刺して食べている。甘い味にカンザが瞳を蕩けさせる。
「おいひぃ……やっぱり今の季節はロメルの実よねぇ、シュウは食べないの?」
「いえ、私は豆茶で十分でございます」
「やっぱり、あなたは生物じゃなくて生き人形か何かなのかしら」
「おやおや、私のこれまでの伴侶を蔑ろにする発言は幾らカンザ様と言えども看過出来ませんよ」
「最後の女性はもう百年も前の話ってあなたから聞いたのだけど」
「まったく、昔は可愛げがあったものですがね……」
「でも、あなた好みの女になったとは思わない? はい、あーん」
カンザが串に刺した果実の実を差し出す。それをシュウザブロウが頬張る。
「あむ……王家の始祖に拾って頂いた御恩を返しているだけですよ」
「ふうん」
シュウザブロウの答えに興味なさげにカンザが嘴で串を噛む。
「お行儀が悪いですよ」
「はぁい」
市場を後にした二人は飛行演習場に来ている。他国との戦争中の現在、自由に宙を舞い、空を翔け、飛ぶ事の出来るのは軍人だけだ。自らの翼で飛ぶ事を許された時代を懐かしむ老人も少なくなっている。演習場は予備訓練生とは別に民間人も高い防護網の中なら限られた空間で飛ぶ事が出来る。入口で最敬礼をする門番に飛行許可証を見せたカンザが中に入る。気付けば子供から大人まで観衆が見守り訓練生や教官の軍人も立ち止まり見ている。
カンザがその背中の眩い白い翼を広げる。羽ばたき、一気に上昇し網の天井ぎりぎりまで着くと音もなく旋回し急降下、刹那、風を切る音と舞い上がる空気、あっと言う間に再び高みまで飛び上がった。観衆からほぉ、と溜息が漏れ直後、歓声が上がる。軍人はあの妙技が戦場で使えればと、子供は自分もあんな風に飛べたらと、そして彼女自身はもっと高く自由に飛べたらと胸に感じていた。
ひとしきり飛び終えて出口に向かうとシュウザブロウが恭しく飲物の瓶を持って待っていた。カンザが受取りそれを飲む。
「お疲れ様です、カンザ様」
「ありがと」
「見事でございましたな」
「ねえ、これで空の果てまで飛べたら……あなたの故郷へ行けるかしら」
「えっ」
「空から、落ちて来たって……」
「……」
「……それとも私と結婚して、私がおばあちゃんになって、私が灰になって、次の伴侶を見付けるまで、ここに居るの?」
「それは……またお話ししましょう」
「嫌よ、まだ私の事を子供だって思ってるんでしょう? 父上や兄上からも愛想は尽かされたし家柄だって関係ないわ。それにもう卵だって産めるんだから……」
「……解りました。但し、駆落ちは許されませんし、私だって追放は御免なものですから」
「むぅ」
◇◇◇
人気のない深夜、王宮の裏の露台からこっそり飛び立ったカンザは城下町の外側の崖の上の洞穴に来ていた。待ち合わせの相手、既にシュウザブロウは岩場に座っていた。カンザには見た事のない宙に浮く球体が音もなく白くぼんやりと周囲を照らしていた。
「シュウ……なあに、それ?」
「これは、空の上のもの、ですよ。簡易的な世界地図です」
「世界地図……? これが?」
「ええ、私の居た世界といっても私の最初の御主人の故郷の惑星のものです」
「???」
「……カンザ様。もう説明はしなくてもお解りでしょうが、私はこの惑星のものでも生物でもありません」
「……でしょうね、私の子供の頃と今が同じ齢だもんね」
「最初の御主人、彼女が私たちを作った時は船の居住者の御世話係として各家庭に配属されました。名前は当時流行っていた、そうですね観劇の類の主人公からとったそうです。私が配属されたのは高齢の夫婦、話相手に炊事洗濯、植物の世話などでした。彼らの苗字から私は『キタタニ・シュウザブロウ』と名付けられ管理されました」
「キタタニ?」
「こう、書きますよ、シュウザブロウも、このように」
シュウザブロウが地面に指で書く。『北谷秀三郎』と書いた。彼女には見慣れぬ文字であった。
「夫婦はやがて寿命を迎え天に召されました。時間は過ぎて、船は錆び、やがて動きを止めて、宇宙空間を彷徨い、最初の御主人も、『ニンゲン』は誰一人居なくなりました。私たちアンドロイドもエネルギーの供給がなくなり動力源が休止し生命でいうところの活動を停止しました」
「信じられないわ……遥か昔に別の知的生命体が作ったって」
「カンザ、あなたは聡い子です。やがて、役目を終えた船は運良くこの惑星に不時着し私が気付いた時にはあなたの王家の始祖に拾われたのです。彼はやさしかった。それからよくしてくれた……私を蔑ろにせず互いに話をして旅をして世界を巡りこの国を建国し私を好奇の眼に晒さないように配慮までしてくれた」
「……シュウ、私はあなたがどんな存在でも卵を産みたいと思っていたわ」
「ふふ、怖くなりましたか」
「……少しね。あと、そんな風に笑うんだ」
「紙巻、よろしいですか」
シュウザブロウが懐から外国製の煙草の箱を取り出して一本抜いて火をつける。
「ちょっ、敵国の嗜好品は御禁制よ!」
「喫わなきゃやってられませんよ、好いた女性にここまで己を晒したのですから」
シュウザブロウが吸い込んだ紫煙をふうっと吐き出す。
「ふぇ?」
「カンザ、私もあなたが好きですよ。ただ、これまでの経験を顧みると私は伴侶の老いる姿をもうこれ以上見たくない。そもそも生物ではない私とあなたたちの種族では子もなせない。私は動きを停止しても何らかのきっかけで再び生きる事もある。その時にあなたがこの世に居なければ永遠の孤独に私は狂ってしまうでしょう」
「……」
「さあ、話はもう十分でしょう。帰りましょう、衛兵だってカンザ様が出ていった事を見ていた筈でしょうから」
「……弱虫」
「えっ」
「弱虫よ、何が老いる姿を見たくないよ! 単なる自己欺瞞じゃないの、私だってあなたと一緒に一生を終えたいわ!」
カンザが憤りの勢いのままに洞穴の壁に回し蹴りをする。その瞳には涙が溜まっている。ぐしぐしと涙を拭う。そして、そのままシュウザブロウとの間合いを詰めていく。カンザがシュウザブロウを押し倒す。シュウザブロウが煙草を落とす。
「シュウ、養子を迎えましょう。兄上が余所で子供を作っているのも知っているし」
「お、落ち着いてカンザ、眼が怖いですよ」
「落ち着いていられるかって話よ」
その時、すうっと洞穴の外から風が入った。宙に浮かぶ球体が揺らぎ光が二人の影を重ねるのを照らした。それがそっと離れるとシュウザブロウは唇を指で撫でて、カンザはそっぽを向いた。二人が身体を起こして地面に座る。吸いかけの紙巻の煙と香りだけが漂っていた。シュウザブロウが切り出す。
「カンザ様、あなたの気持と覚悟はよく解りました……」
「じゃあ、結婚してくれる?」
「但し、条件があります」
「何よ」
「一つは駆落ちはしません、陛下の許しを請う事。二つ目は時間をかける事です」
「時間をかける?」
「あなたは王族であるので身分を市民に差し替えなければなりません。過去にもそういった方のお世話をしたのでそこは問題はありません。住まいも私の家は王宮の宿舎ですが、そこに住む訳にもいきません。幾ら勘当したとはいえ陛下から目立たぬ護衛はつくでしょうから、それなりの生活が出来るところを。それから、子供はもう少し落ち着いてから……ですね。養子を迎える事になってもある程度の収入は必要です。カンザ様も社会経験を積んで貰いますよ」
「解ったわ……逃げない」
「良い子です」
ようやく、いつもの笑みを見せたシュウザブロウにカンザも笑う。しかし、彼女は腕組みをして不満気な表情を浮かべた。
「シュウ、あと……これからはね、敬語と〝様〟はやめてくれないかしら」
きょとんとしてから彼はおかしそうに笑う。立ち上がって球体の灯りを消す。代わりに市民が使うランタンに火をつける。
「解ったよ、カンザ。でも外では敬語だからね」
「うん。ありがと……」
同じく立ち上がったカンザがしゃがんで火が消えた紙巻を拾い彼に渡す。
「これもちゃんと捨ててね」
「解ったよ」
二人が洞穴を出て行く。空の闇に溶けるように音もなく羽ばたく急襲部隊が城壁の見張塔を越えて隣国へと消えていった。気が付けば流星の夜は終わっていた。
◇◇◇
父王からは「勝手に致せ」とだけ告げられてカンザとシュウザブロウの二人暮らしは始まった。
最初は炊事も洗濯もひどい有様の元王女だったが、良き伴侶であるアンドロイドが手助けをした。カンザは裁縫の仕事も見付け楽しい日々が続いた。
五年目のある晩、大きな淡水魚の丸揚げを作ったカンザが食卓の対面に座る上品に食べるシュウザブロウに向かい問い掛ける。
「ねえ……シュウ」
「どうしたんだい」
「兄上の子供……そろそろ責任取らなきゃ」
「うん……解った」
翌日、引退した女官から引っ込み思案の鳥人の子供をシュウザブロウが引き取った。双方に話はつけた。既に違う伴侶を見付けた女とこの国の王位継承順位第一位の男の子供は二人の子供として育てられる事となった。
子供はテオンと言う名の五つの男の子だった。兄の子だけあってカンザにもよく似ていた。
最初の一年は食事の時以外はテオンは自分の部屋に籠った。
次の二年は二人を「母さま、父さま」と呼んでカンザもシュウザブロウも泣いた。
テオンも大きくなりシュウザブロウの事情も理解して自身も納得した。
そして月日は廻り、次の〝流星の十夜〟がやって来た。
◇◇◇
「母さま、きれいだね」
「そうよ、母様も小さい頃に父様に連れられて初めて見たのよ、綺麗だったわ」
カンザがテオンの腕の先の鉤爪を引いて星が降る夜の荒野を歩く。そこへ後ろから声をかけられる。
「カンザ、テオン、お待たせ」
「父さま! おそいよ」
「あなた、これがそうなの? ヒコーキっていう……」
「正確には無人航空機、まあ形は航空機だけど固定翼式かな、旧式も旧式。船時代から残っている骨董品だね」
「ねえ、飛ぶの?」
「飛ぶさ」
シュウザブロウが笑う。するとカンザが手早く息子を抱っこ紐と袋で抱える。シュウザブロウが苦笑いする。
「……まさか、一緒に飛ぶのかい?」
「サツエイってものをしてくれるんでしょう? 流星群の夜空に愛しい女性と子供が一緒なんて素敵じゃない?」
「そうだね」
「恥かしいよ、母さま……」
恥じるテオンにカンザが微笑む。
「あら、嫌い?」
「……嫌いじゃないよ。飛んでる母さま格好良いもん」
「ふふ、ありがと」
無人航空機が空を飛び、その横をカンザが羽ばたく、胸の中でテオンが眼を輝かせ、夜空には流星が絶え間なく降る。カンザが地面を見下ろすと暗いながらも無人機を操作するシュウザブロウの影が見える。遥か遠くには敵国との境界に築かれていた高い壁と、和平の証として崩した跡、隣国の塹壕には幾つか簡易的な橋が架けられ隊商が互いの国の商品を物々交換している灯りが見える。
カンザは微笑んで夜空を宙返りし、胸の中で小さく歓声が上がった。
(初稿:2024/09/23)
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