Magic Mountain Way

温泉親爺

温泉に入る野生の猿といえばテレビ番組で見た事がある方や、実際にそこへ行き見物したという方も居るかも知れない。

私はその有名な温泉とは違う場所で変わったものを見た。

場所は伏すが、人には知られていない旅館である。

オンボロの中古車で矢鱈としみったれた貧乏旅行を大学の卒業に悪友として、その地方での宿として飛び込んだのがそこであった。

閑散期という事だけでなく客は我々二人しかおらず、出された夕食も母親の朝食でも見ないオモチャのような焼き鯖と薄い味噌汁、塩辛い青菜に冗談みたいに小さい沢庵が二切れだった。

ビールありませんかと訊くと面倒臭そうに、川の向こうのよろずやに売ってますよ、と。

とんでもないところへ泊まったものだと肩を落としつつも薄い布団に包まり眠る。悪友は早くも鼾をかいて夢の中だった。

翌朝、景気付けにひとっ風呂浴びるかと露天風呂に向かうと先に来ていた友人が脱衣所で裸の股間をタオルで隠しながら恐る恐る浴場を見ていた。私が問い掛ける。

「どうした」

「アレ……」

「ん、おおっ」

猿だ。猿が温泉に浸かっている。恐らく野生の猿だろう。群れをなして顔を蕩けさせている。こうやって見ると風情はあるものだが、衛生面を考えると余り一緒に入りたくはないものだ。

「猿と一緒に入るか、はは」

私が冗談めいて彼に笑いかけると裸のまま頭を振った。

「違うよ……よく見ろよ、奥のアレ、猿じゃねえだろ」

「えぇ? どれ、だ……」

二人の視線の先がようやく一致した。

猿と猿の間に明らかに柔らかい素肌のものがある。それは猿と同じ大きさで温泉に浸かり胸から上を出して露天温泉の岩に背中と両腕を預けた裸の中年男性であった。まるで誂えたようなタオルを頭と眼の辺りに乗せて何か唄っている。まさしく温泉を楽しむ親爺だ。

私たちが呆然として見ていると温泉親爺がタオルを取って頭頂部を拭いた。顔があらわになる。

一つ眼だった。

親爺がこちらに気付く。一つ眼が笑って会釈した。

我々は無言で飛び出して裸のまま部屋に駆け込み布団に包まり震えていた。

その後、布団を被り静かに脱衣所へ戻ると何もなかった。

その間、旅館の従業員とは誰とも会わなかった。

テレビで温泉に浸かる猿を見る度に思い出す事だ。見間違いであると信じたい思い出である。

(初稿:2026/07/07)

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