異世界があるとしたら、ずばり〝ここ〟としか言いようがない場所。それがこれからご紹介する世界。
何も月が二つ三つある訳じゃない。ただ、少しだけ我々の住む世界と住人が違い科学力が大分進んでいる事。
住人は人間が惑星を占有しているのではなく、動物の顔や翼を持った獣人や鳥人、陸に上がって生活する二足歩行の鮫の魚人、トカゲやワニの鱗の肌や尻尾を持つ爬虫類人などの亜人が存在する。
彼らが人間をとって喰おうとするなんて有り得ない、共存し文明を築き発展させていった。狼男が満月の夜に雄叫びをあげるなんてナンセンス、吸血鬼だってニンニク料理を好んで食べる。
これはそんな異世界に住む人間と亜人の恋人同士のお話。
◇◇◇
及川芳喜はにこにこと笑いレストランのテーブルの対面の椅子に腰かける恋人をみつめていた。彼はアイスコーヒーを啜る。ウエイトレスと配膳ロボが動き回りスタンダード・ナンバーが流れる店内の視線はこの二人に向けられていた。
彼女は実に美味しそうにハンバーグランチを食べている。鉄板の上でじゅんじゅんと焼けたソースが鳴って胃袋をぎゅう、と刺激する。ニンジンのグラッセにバターコーン、鮮やかなブロッコリー、そして主役のハンバーグ。彼女がその肉の塊にフォークを刺してナイフで切る。少し大きめに取って口にパクリ。芳喜を見つめ笑う。
「美味しいぃぃ♪」
「良かったねぇ」
「うん♪ 芳喜くん、最後のあの曲凄かったね」
「うん、サックスがまた痺れたよ」
二人は音楽イベントの帰りにレストランに寄って夕食をとっていた。そこへウエイトレスが少し顔を引き攣らせながら空いた皿を下げに来た。
「お客様、こちらお下げしても……」
「あぁ、はい。あと追加でシーフードピラフとブラッドオレンジジュースをお願いします」
彼女が百点満点の笑顔をウエイトレスに向けた。
「かっ、かしこまりました……」
お盆の上に空いたライスの皿を六枚、ハンバーグの鉄板六枚を載せて帰って行った。
芳喜は更ににこにこと笑う。今日も彼女はよく食べる。初めて出逢った時の食べっぷりに感動したのがつい先日のように彼はしみじみと思い返していた。一目惚れだ。
「ラキちゃん、美味しい?」
「うん、とーっても! ちょっとスープバーも見てくるね」
芳喜の恋人である井東ラクエルは青みがかった黒い長髪を揺らして席を立つ。〝ラキ〟とはラクエルの愛称、心許した家族や友人、そして恋人にしか呼ばせないもの。
その足下で床を何かが擦るような音がした。そこにはずるずると下半身の斑の模様の蛇の身体を動かしながらスープバーの鍋に向かう少々大柄な浅黒い肌の彫りの深い美女が居た。
彼女は下半身に蛇の身体を持つ亜人種の血を引くラミアであった。母が外国人のラミアで父が人間で一家で町のベーカリーカフェを開いている。ラクエルは看板娘だ。
ラクエルが芳喜の分のスープも持ってきてメニューをもう一度じっくりと見る。
「締めはステーキかなぁ、芳喜くんは?」
「僕はラキちゃんの笑顔が何よりの御馳走だよ」
「やだぁ!」
二人して休日を楽しみ、食べて、抱き合う。
「うぅん……芳喜くん……すきぃ……」
「僕も……ちゅ」
「んふふ……♪」
ラクエルが本能的に芳喜の脚に蛇の身体を巻き付けていく。これはラミアの亜人種の最高の愛情表現、『あなたを食べてしまいたいぐらい愛してる』だ。
しかし、今夜は様相が違った。ラクエルの蛇の尻尾の先がするん、するん。何度も芳喜の脚からすり抜ける。それに彼も気付いた。そして、何かを言おうとしたが――。
「言わないで……解ってる……」
「うん……」
この夜から、二人のダイエット作戦は始まった。
◇◇◇
休日の夜。二人はとあるジムの前に来ている。ガラス越しに並ぶトレーニング器具と鍛えるマッチョの人間と亜人。音の伝わってこない外から見ても闇を震わせそうだ。扉を開けると中に居た虎の顔の獣人の女性トレーナーがラクエルと芳喜に気付き近寄ってきた。
「今晩は! ご連絡下さった井東さんと及川さんですね」
「は、はい」
「よろしくお願いします」
「私はトレーナーの古森しのぶです。さあ、どうぞ!」
しのぶがとびっきりの笑顔を見せた。鍛えた胸が揺れるタンクトップに広い肩幅、引き締まった臀部に長い脚、声はギャップがあって高いソプラノ、如何にも有能トレーナーといった感だ。
彼女に招かれデスクに向かい簡単な事務手続き、コースの金額の確認、同意書を書いてジムのアプリを携帯端末に入れ、最終目標を立てて、身体測定。
「身長は高いですね、女性で亜人としても、ううんラミアでも……何かスポーツをなさってましたか?」
「え、ええ、昔」
「体重は測定器がエラーなのは御愛嬌……」
「すいません……」
「いいんですよ。それと井東さんの体重を落とすのはパートナーである及川さんの助けも必要です。食事での栄養管理」
「はい」
「ウチのジムのアプリを使って運動量と何をどれだけ食べたかチェックします。断食は厳禁」
運動と食事管理の日々が始まると、最初は順調だった。
しかし、彼女の父のベーカリーカフェの新作の試食やこっそり焼肉を食べたり甘いパフェを食べたりとしのぶは頭を悩ませていた。
休日、ジムに通う日は真面目にトレーニングするラクエル。ラミア用の器具で時間いっぱい身体を動かす。今日は芳喜も同行している。しのぶが声を掛ける
「いいですよー、やっぱり筋良いな……ストップ!」
「ふう……はい」
「井東さん、本当に体幹も良くて息も切れない、体重だって落ちないのは筋肉になっているからですよ」
「えっ、そうですか……」
「そうなの、ラキちゃん」
「えっと」
そこへムチムチに張った背広を着た色黒で体格の良い人間のジムオーナーがやってきた。
「久し振りだね」
「オーナー、大会で無茶して腰を痛めたそうですね」
「はは、手厳しいね。しのぶくん。そちらは新人さん?」
ラクエルが頭を下げる。
「井東ラクエルです、どうも」
「いとう、ラクエル。はて、ラミアでラクエル……ラクエル、ラクエル、ラクエル!!」
オーナーがラクエルに駆け寄った。
「間違いない、ちょっとごつくなっているが、ラクエル・ラ・エスピラルだ!」
しのぶも驚いた。
「ウソ! 本当ですか!? 井東さんが!?」
「え、え、え」
「え、ナニ、ラキちゃん。ら・えすぴらる?」
話がついていけないのは芳喜だけだった。
◇◇◇
ラクエルの家。彼女の両親がクローゼットから色々と箱を出して来た。
「これがラキのコスチューム、初試合の時だね。勝って嬉しかったよ」
「これは引退試合の時のマスク、デビューから全試合全勝、マスクも剥がされず……ワタシ泣いちゃったわ」
「は、はは」
リビングにラクエルがラミア・レスリングのプロレスラー時代のコスチュームやハーフマスク、入場ローブ、グッズが並べられていくのを愛しの恋人から何も知らされていなかった芳喜は笑いながら見ていた。
ラミア・レスリング――女子プロレスの一種で亜人種のラミアのみで行われる格闘技だ。通常のプロレスと同様のものもありつつ、最大の特徴は下半身の蛇の身体を絡ませ合ってダウンを取るものだ。
ラクエルは彗星の如く現れ十八でデビューして二十三で引退した天才レスラーだった。引退した理由は勿論と言うか何と言うか、芳喜であった。
レスラーとして限界を感じた時に趣味の音楽イベントで芳喜に出逢い〝闘わない生活〟を送りたいと強く願った。
そして、引退した反動で食べに食べて今に至る。
自宅の二階の寝室のベッドで寝そべってとぐろを巻くラクエル。階段を上る音が聞こえる。そしてノック。
「どーぞー……」
「ラキちゃん?」
「どーぞー……」
扉を開け部屋に入りラクエルの横に座る芳喜。気まずい沈黙が流れる。それを破ったのはラクエルからだった。
「……幻滅した?」
消え入りそうな声で彼女は問い掛ける。
「どうして?」
「乱暴な女で……」
芳喜は微笑んで手を伸ばしラクエルの頭をやさしく撫でる。
「そんな事ないよ。むしろ惚れ直しちゃった」
ラクエルが頭を上げる。何だか解らないような顔をしている。
「私は女らしい私で芳喜くんと逢いたかったよ! それなのに……台無しだよ」
「そうかなぁ……強い女性って格好良いから」
「……解った、ありがと」
ラクエルが蛇の下半身を動かして芳喜を引き寄せて姿勢を変える。押し倒し抱き締めて強く、強く、強くキスをする。すっかり元通りになった二人。甘えたようにラクエルが芳喜の額にキスをして問いかける。
「芳喜くん、私の決意……見ててね」
「?」
◇◇◇
『おおっと、これでは動けない! 反撃なるか!?』
『いやぁ、厳しいですよ。三年のブランクで階級もヘヴィー級に変えましたからね』
『カウント、ワン、ツー、返した!』
『驚きですね、おっ、これは飛びますか』
『信じられない! ラクエル・ラ・エスピラル、現役時代の空中殺法、ムーンサルト・プレスだーッ!!』
『ラミアの身体で飛ぶのは彼女ぐらいですよ』
『さあ、蛇の身体で巻き付いて、ワン、ツー、スリー!!』
観客席から空気が渦を巻いて震えるような歓声。そして、異様な迄の興奮がアリーナを包む。
鳴り止まない「ラキ!」コール。
彼女がとぐろをその場で巻いて拳を掲げた。リングに注ぐ天井の照明に向かい勝利の咆哮が響いた。
帰還したのだ――若き〝女帝〟ラクエル・ラ・エスピラルが。
◇◇◇
控室、コスチュームのラテックスと発汗のニオイ、試合後の選手から放たれる圧倒的な熱量に包まれていた。そこに戻ってきたラクエルがハーフマスクを指で押さえてマウスピースを外す。
「お疲れ様、ラキちゃん」
セコンドの芳喜が彼女の状態をチェックしていく。瞳の焦点、唇が切れていないか出血はないか――。
「ちょっと唇を噛んだね……深刻じゃないけどうがいした後に消毒。染みるよ」
ラクエルは芳喜が差し出したボトルの水でうがい。
「ん……ぺっ、ありがと」
ラクエルが薄く赤に染まった水をバケツに吐き口をタオルで拭う。口を開けて滅菌ガーゼを当てて貰う。それを捨てて、ふうっ、と芳喜が安堵の溜息をついた。
「まさか現役復帰するとは思わなかったけど、やっぱり格好良いね」
「でも、わざわざライセンス取って芳喜くんがセコンドにならなくても……」
「良いの! 食事でもトレーニングでもリングの外は全力でサポートするって決めたからね」
「良かったのかなぁ?」
「好きなことしているラキちゃんが一番美人だよ。いっぱい鍛えて、いっぱい食べて、またイベントも行こうよ」
「うん!」
二人の恋の第二ラウンドはゴングが鳴らされた。
(初稿:2025/12/05)
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