娘がそれを拾ってきたのは小学生の頃だった。
これまで住んでいた手狭なアパートから思い切ってマイホームを建てた。その時に「ここならワンちゃんかえるね!」と彼女は瞳を輝かせていたものだった。しかしながら、実際には拾ってこられると困惑するものだ。
夕食前に彼女がおずおずと私に話を切り出してきた
「パパ、良いでしょう? このままじゃかわいそう」
「そうは言ってもなあ……何処に居るんだ? 一応、見てやるから連れてきなさい」
「うん!」
そう言って玄関先に足早に向かう娘を見送る。
命を大切にする気持はあって満足だが、いざ飼うとなると責任が生じるものだ。
日々の生活、餌代、犬であれば散歩にフンの始末、予防接種、それに最期を看取る時。
「パパ、この子!」
「どれど……」
娘が抱いていたのは段ボール箱であった。それだけならまだ良かった。
蓋が閉められて厳重にガムテープで何重にも巻かれて梵字のようなものが書かれた御札が蓋にも側面にもベッタリと何枚も貼られていた。
娘の持つ箱が揺れて中から、くぅんくぅん、と動物の鳴き声が聞こえる。よくよく見ると側面に丸い節穴のようなものが空いていた。そこから聞こえる。
「ねえ、パパかわいいでしょう?」
「かっ、かわ……いいのか、これ」
「あら、ワンちゃんね。何を食べるのかしら? ペットフード……あなた買ってきてよ」
「はっ!?」
夕食の準備を終えた妻が後ろから話しかけた。
可愛い、この箱が。
相変わらず箱は、くぅんくぅん、と甘えるように鳴いている。節穴から人間の眼のような白眼が勝った眼球が覗いた。
「うわっ!」
『ダンナ、オイラハナンデモタベマスゼ』
「喋った! 今、箱の中身が喋った!」
「かしこーい」
「あなた、ハイお財布。ペットフードでいいのしら」
『ニクナラ、ナンデモイイデスゼ』
「はっひっ!?」
箱は〝ポチ〟と名付けられた。
◇◇◇
あれから十年、娘も大学生になり来年は地方へ就職する。
最初はポチを可愛がっていたものの、今度は違う動物を拾ってきて夢中だ。その子とポチとは仲が悪い。
ポチの散歩は朝は会社に行く前の私。夜は妻が行っている。有難いことにこの十年、フンはしていない。肉は食べる。『ゼイタクハイイヤセンガ、シンセンナニクガイイデスナア』とぼやいている。
今朝はお隣さんが引っ越して来たので挨拶をする。お隣さんの若奥さん。
「おはようございます」
「あら、おはようございます、越して来……ヒイッ!?」
ポチが、ヘッヘッヘッヘ、と荒い息を節穴から吐いている。
傍から見ると箱にロープを括りつけて散歩している頭のおかしい人間だろう。ちなみにポチの箱の底面からは毛むくじゃらの人の足が生えている。
「お、おは、おは、えっ、犬……?」
「ポチです」
「ポ……」
『ヨロシクオネゲエシヤズゼ、オクサン』
「喋った! 箱が喋っ……」
『グルルルルル……』
「こら、ポチ、吠えない!」
『ガゥッ』
「それじゃあまた」
「は、はひぃ」
お隣さんが腰を抜かしかけているところにポチが箱の穴から、ニュッと手を出した。
赤いマニキュアを塗った女性の手がひらひらと振られて挨拶をした。
「ギャアッ!!」
失神するお隣さんを尻目に散歩を終えた。
「ただいまー」
「おかえりなさい、ご飯出来てるわよ」
「パパ、おかえり。ポチもおかえり」
ポチの足を拭いてダイニングキッチンへ向かう。今日はポチの餌はペットフードにささみだ。ポチが嫌な声を上げる。
『オジョウ、〝タマ〟ノニオイガシヤスネエ……ナデマシタネ』
「仕方ないでしょう、ポチもタマも仲良くすれば良いのに」
ポチが節穴にささみを吸い込んで、くちゃくちゃを食べていった。
粗方食べ終えるとそこへ『ニャア』と声が響いた。
ポチが、グルルルルル、と唸り声を上げる。
『ナンダイ、オクレテ。〝ジュウヤクシュッキン〟ダナ』
『アタシハ、アンタノ、クイカタガ、キニクワナイノサ』
「タマ、ペットフードでいいかしら?」
妻が〝タマ〟と呼ぶ底面から足袋を履いた女性の足が覗く箱に声をかける。
『オクサマ、ゴハンノウエニ〝トゥルトゥル〟ノアレヲ……』
「はいはい」
人間、慣れとは恐ろしいものだ。
ふと、ポチやタマは我々より長生きするのだろうかと思ったが何とかなるだろうと、深く考えないようにした。
(初稿:2026/08/05)
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