Magic Mountain Way

タンゴ、フラミンゴ

『大統領は今夜、代表団と晩餐会で互いの交流を深め双方の交流樹立を……』

カーラジオを切り中古車で町につけると辺りはエミリオが知っている十年前から様変わりしていた。

陥没の酷かった未舗装の道路はアスファルトに覆われ、新車の外車のSUVも目立つ。一方で十万キロ以上走った中古車はエアコンの効きも悪いもので、これで各地のホールを廻ってた頃が遥か遠い時代に感じていた。

街燈に群がる羽虫が夏の残響音を僅かに揺らしている。暗がりにもたれた男女が闇の味の口付けを交わし酔客が冷かし半分に笑いながら通り過ぎる。

町は開発から取り残されて寂れたものの、エミリオが足繫く通った古びたタンゲリーアがある。幼き日は父と共に客として、若き日は駆け出しのタンゴダンサーとして、そして老いた今宵は店を継いでいる旧友との再会の場としてやって来た。

店の入口には熊のような大男の黒服が立っている。

いや――その顔はまさしく熊であり身長は二メートルはある。熊が黒服を着ているのだ。しかし、エミリオは臆する事無く挨拶をする。

「やあ、マルコス。十年振りだね」

「……エミリオさん、中にお入り下さい」

店内は活気に溢れていた。タンゴを目当てに見に来た眼の肥えた客や単なる酔いどれ、生バンドの音色にアルコールの回った笑い声。昔のままにエミリオは感慨深いものを胸に感じていた。そこへ後ろから声をかけられる。

『エミリオ! 来てくれたか』

「フリオ、十年振りだな」

『お前もすっかりジジイだな』

「機械の身体のお前に言われたくないな」

店主のフリオはロボットめいた鈍色の身体でエミリオにハグをする。席に座ると黒髪のジャガーの顔の給仕が注文を取る。運ばれた泡のないぬるいビールで乾杯。

エミリオが机に置いてあった今日の新聞を取る。一面の見出しはこうだった。

『大統領、星雲代表団と共同会見。宇宙航路交流樹立を記念した祝賀行事』

写真には満面の笑顔の大統領と古の神々の服装のような黒猫の顔の星雲代表の背の高い女性が無表情で握手を交わしている。

新聞を戻したエミリオがしげしげとチューブでビールを機械の顔へ流し込んで呑むフリオを見つめ呆れて声をかける。

「お前が永遠を生きたいって全財産を叩いて宇宙で機械の身体を買ったのは信じられんよ」

それに対してフリオは合成音声で豪快に笑う。

『良いだろう、二十年前から見物客が来てトントンさ。宇宙技術さまさまだ』

――二十年前、超大国の大統領就任式の日に彼らはやって来た。

動物の顔を持つ彼らは友好的な態度は示したものの『この惑星の絶えぬ騒乱を〝大いなる存在の意思〟の下、平定に参りました。お解りですね?』と述べて、全世界の海上及び陸上及び上空に宇宙船の一大船団を待機させたものだから事実上、人類は無条件降伏せざるを得なかった。

しかし一方で彼らの移民は社交的であり社会にもすぐに馴染んでいった。このタンゲリーアの客層も獣人や爬虫類人、魚人、鳥人と増えている。無論、人間の中には良い顔をしない者もいたが口には出せなかった。

フリオがエミリオに耳打ちする。

『ウチの看板娘の登場さ、エマっていう娘だ』

「楽しみだな……人間か?」

『まあ、見てな』

客席が暗くなりステージにスポットライトが当たる。

そこに人間の男性のタンゴダンサー、ステージの裾から紅と黒のタンゴドレスを纏った細い桃色の脚に長い朱色の首と顔。黒い大きな嘴のアップにした髪型の女性ダンサーが現れた。

エミリオは呆然とする。

「……フラミンゴ」

『そうさ、フラミンゴさ』

フリオは笑う。

ステージのピアノが情熱的に弾かれていく。紡がれる哀愁のあるバンドネオン、軸を取るコントラバス。二人は距離を取りつつステップを踏む。

エマは長い脚を振る。それはまさしくフラミンゴである事を最大限に活かした強みであろう。

相手が手を取り、回り、彼女の身体を持ち上げ脚が回される。

観客もうっとりと眺めて魅入っている。

しかし、ダンサーだったエミリオだけはその本質を見抜いていた。

(彼女を十分に活かし切れていないな……点数を付けるとすればここからすぐに抜け出せる筈なのに、彼女が悪い訳じゃない、相手が悪い訳じゃない……相性だ)

その時――。

「泥棒だ!」

客の叫びに店の空気と音楽が一瞬、止まる。

札入れを盗んだ男が用心棒の熊男から逃げる。別の席の酒瓶を手に取って明後日の方向へ投げた。

男は用心棒に取り押さえられたが、酒瓶はステージに向かいそのまま呆然と立ち尽くすエマへ――。

「危ない!」

◇◇◇

「……ボス、縛りやしたがどうしましょう」

『後で警察だ』

「……へい」

用心棒が去って楽屋には店のスタッフやバンドマン、フリオとエミリオも来ていた。

エミリオがフリオに話しかける。

「俺は部外者だろう」

『まあ、居てくれ。頼むよ』

エマが相棒のダンサーを労る。

「レイナルド……貴方、早く病院に行きましょう」

「エマ……キミに怪我はないかい」

「貴方が庇ってくれたから……」

『命に別状はないが脚に当たっちゃなあ……』

楽屋に従業員が飛び込んで来た。

「ボス、お客様が早くエマのタンゴの続きを見せろって」

レイナルドが立ち上がろうとする。

「ほら、行かなくちゃ、ああっ! くぅ……」

「無茶しないでよ……」

フリオが真剣な口調でエミリオに問いかける。

『エミリオ、俺がお前をここに呼んだ訳が解るな……』

「……解るが、冗談は止してくれ。もう引退して十年だ。タンゴを忘れた老いぼれに踊れっこないさ」

そこへ楽屋に届く『エマ!』コール。反比例するように沈黙が楽屋を包む。フリオが頼み込む

「エミリオ、お前はもう枯れちまったのか? さっきのタンゴを見る眼はまだ炎を宿していたのを俺は見逃さなかった。忘れたとは言わせんぞ、お前の血には、肉には、骨には、踊りが刻まれている」

「……」

エマがレイナルドの手を取り、無言になったエミリオを見つめる。

「お願い、します……」

◇◇◇

暗い客席、哀愁の音色のバンドネオンが奏でられ、リズムを刻み弾かれるピアノ、コントラバスが重低音で響く。

長い間、トップタンゴダンサーであったエミリオであっても獣人の相手を務めるのは初めての事であった。しかも事前練習はなし、まさしく即興舞踏である。失敗すれば引退した自分よりも彼女の経歴を著しく汚すものだ。若き芽を潰すのは、自分だ。

羽を伸ばし彼の手を取るエマ、ええいままよとそのまま踊る。エマが耳元で囁いた。

「(私に任せて、貴方はそのまま)」

初めてなのに縺れる事なく互いの脚は動き、エミリオも十年振りだと言うのに心臓の鼓動よりも刻まれたステップが身体に染み付いていた。

長い桃色の脚を大きく振るエマ、それに応えて身体を合わせる。忘れかけていた踊る事への情熱が弓の弦を引くように音を立てて張り詰めていく。それはまるで情熱の、愛の響き。

旋律が、呼吸が、空気が、熱が、客の感嘆の溜息までもが、肌に、顔に、眼に、息に、流れるように入ってくる。

エマが身体を反らす。そしてそのまま長い首を伸ばしてエミリオに絡める。最高潮のまま踊りが終わった。客席からは万雷の拍手が巻き起こった。

◇◇◇

閉店後。

フリオとエマとエミリオがパトカーと救急車を見送った。遠ざかる救急車が市街地へ向かうのを見てフリオがエミリオに笑いかける。

『どうだ? レイナルドが治るまでの間、ウチで踊ってくれんか』

エミリオが苦笑いをする。

「もう、ジジイだよ。それに今日は何もかも彼女のお蔭さ」

『謙遜するなよ』

エマも笑う。

「エミリオさん、今日は踊っていて楽しかったわ。また来てね……待ってるから」

「次は客としてだよ、じゃあな」

停めていた中古車に乗り込むとそのまま彼は去っていった。バックミラーに手を振る一体の機械の身体と羽を振る一羽のフラミンゴ。やがて、闇へ溶けた。

カーラジオからは大統領の動静。

『晩餐会を終えた大統領は、明日は星雲代表団と新型宇宙船の視察へ……』

ラジオを切ったエミリオはカセットを探る。

ラジカセに入れたのはそれこそ母親の小言より聞き慣れた筈の練習用のテープ。

おんぼろの中古車の車内でタンゴのメロディが夜の闇を切り取るように流れていった。

(初稿:2026/08/03)

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