近所の寺には〝びんずるさん〟が鎮座している。
びんずるさん、賓頭盧尊者というお釈迦様の弟子の一人で、この国では身体の悪いところを治してくれる所謂〝撫で仏〟として知られている。
近所の寺のそのびんずるさんはビックリするぐらいの笑顔で参拝客を出迎えてくれている。どれぐらいかと言うとまなじりは垂れ下がり口角を上げた口は大きく開けて如何にも大爆笑と行った表情を見せている。
木造のもので作られたのは乱世の時代の八百年前という由緒正しいものなのだが、何故こうも大笑いなのかは由来ははっきりとしていない。騒乱も戦火もくぐり抜けて皆に笑顔を振りまいている。
その前に賽銭箱もあって、寺の世話人をしている父は、不用心だから盗まれるぞ、とぼやいていた。
幼い息子を連れて寺の幼稚園へ行く。寺の横に住職が園長も務める幼稚園が併設されている。今時は珍しいと思うが私も幼い頃に通っていた。特定の宗派を教えるというものもなく厳しいものでもないので花祭りやクリスマスも祝っている。強いて言えば「悪いことは仏さまが見てらっしゃるのでやめましょう」ぐらいだ。
私も息子を預けているがある日、仕事終わりに迎えに行くと『不審者注意』のチラシを先生から渡された。
「出ましたか」
「最近、窃盗が多いでしょう……警察から注意喚起ですって」
「解りました」
すると、息子が私の袖を引いた。
「パパ、びんずるさんみたい」
「おっ、解った。行こうか、それじゃあどうも」
「気を付けてね、また明日」
「さよーなら!」
息子は生まれた時から何故かここの大笑いのびんずるさんが大好きだ。初めて祖父である父に連れられて来た日からキャッキャと笑っている。しかし、今日は違った。私にしがみついてそっぽを向いている。
「どうした、びんずるさんだぞ?」
「……今日、こわい。おこってる」
「怒ってるって、アレは仏像……仏像かな、大きい木のお人形さんだぞ」
「……おこってる。かえろうよ」
「……?」
私はびんずるさんを改めて見てみる。相変わらずの大爆笑だ。
◇◇◇
『こらーっ!』
その夜、布団の中に入りうつらうつらと意識を手放そうとしていると凄まじい大声が闇夜を引き裂いた。その後、けたたましいサイレンの音で眼が覚めた。
どうやら近所らしい。かなり、大きい。バタバタと誰かの足音、そして騒がしい大声がする。
『たすけて、たすけて、たすけてくれーッ!』
それで完全に眼が冴えた。布団の隣を見ると寝ている筈の妻が居なかった。上着を着て玄関へ降りるとパジャマ姿の妻が寝ぼけ眼で立っていた。
「何かしら……」
「ちょっと見てくるよ、あの子や父さんたちを頼む」
「うん、気を付けてね」
表に出ると複数人の声がする。赤色灯の光は寺の方向で闇夜を照らしていた。近所の他の住人も出てきて様子を伺っている。寺の近くまで近寄ると規制線が張られ警官が通行止めしていた。
「下がって、下がって!」
「何があったんですか」
「後で説明しますので……兎に角、下がって!」
警官の隙間から寺の山門が見えた。そこには倒れた黒ずくめの男と賽銭箱、周りに立つ警官。地面に伏した男が叫ぶ。
「たすけてーッ! もうしませんもうしませんもうしません、たすけて、たすけて、たすけてーッ」
「これ、動かんかね」
「びくとも」
どうやら賽銭の窃盗犯らしいが、その上に普段から見慣れたものが鎮座していた。
それはびんずるさんであった。
男の頭の上にバランスよく載っている。しかし、私は違和感を覚えた。
「あっ……」
赤い光の中で浮かび上がったその表情はいつもの笑顔のそれではなくまるで不動明王のような憤怒の表情でそこに存在していた。
◇◇◇
結局、犯人は翌朝までそのままでボロ布のようになりながら引っ張り出されて御用となった。朝陽が昇るとびんずるさんは嘘のように軽くなったそうだ。
翌日は幼稚園は休みになったが住職からの地域住民への説明があった。
「悪い事をすれば必ず罰が当たりますが罪を憎んで人を憎まずと言います……」
説明と言うか説法めいたものが終わってから息子がびんずるさんを見たいと言うので連れてきた。息子が笑う
「笑ってるか?」
「びんずるさん、わらってる」
びんずるさんはいつも通り、今日も大きく笑っていた。
(初稿:2026/07/07)
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