どうやら彼の妻はオオサンショウウオらしい。
最初に出逢った時は大学の時。告白されている最中に大柄だなと思い、デートでの食事はスプーンにすくったプリンが矢鱈と小さく見える大口だなと思い、海に遊びに行こうと言えば川遊びが良いなと言われ泳いでバーベキューをした。
初めて夜を共にした時にやけに太くてぶよぶよしてぬめっているなと思ったがそれを追及すると失礼かなと感じていた。
しかしながら、朝ベッドの横には長い髪に乳房がある二足歩行の形をしたオオサンショウウオが微睡んでいた。彼女が寝惚け眼で彼を見る。
「おはよう……どうしたの?」
「……いや、何でも」
しかし、別に毛嫌いする事なく普通に生活をしている。
結婚の際に両家の挨拶をしたが彼の両親もニコニコと笑い、彼女の人間の両親は感動で泣いていた。
いつか子供も欲しいわね、と言われて庭付きのマイホームも建てた。今日も彼女に見送られて会社に向かう電車に揺られている。
電車の席に座り、眼の前のセイウチのように肥え太ったずんべらぼうのサラリーマンは牙がないだけで本当に海獣かも知れないと彼はぼんやり思う。
ギターケースを持ったガンガゼのように髪を立てたバンドマンも本当はその眼は一つかも知れない。
駅から橋を渡ってビル群があるオフィス街へ、会社に行くと新入社員は稚魚のように群がって騒ぎ、喫煙ルームから出てきた同僚はサメのような眼をしていた。
午前の業務を終えて昼食に出かけ町中華で青椒肉絲を同僚と食べる。彼に向かい同僚が食べながら問いかけてくる。
「カミさんとどうだ?」
「ボチボチだよ」
「ふうん」
サメ眼の同僚は青椒肉絲と白米を掻き込み中華スープを飲んで息をつく。
「お前、デブ専だもんなあ」
「……怒るぞ」
「スマンスマン」
定時で上がり自宅まで電車、住宅地について自宅の呼鈴を鳴らすと妻は笑って迎えた。オオサンショウウオだが。
「お疲れ様」
「うん」
「先にお風呂?」
「そうだね、キミは……」
「ふふっ、一緒に入りたい?」
「いや」
「お夕飯の準備するから、ゆっくりね」
風呂から上がり、夕飯の席には美味しそうな料理が並ぶ。ぼんやりと彼が見つめていると妻が首を傾げた。
「あなた、どうしたの。ご飯食べたくないの?」
「いや、何でもないよ。食べよう」
食事は魚料理が中心だ。今日はお造りの盛り合わせ。サーモン、鮪の赤身、海老、ハマチ。
御御御付はとろろ昆布。小鉢に高野豆腐とひじきの煮物。
保温ジャーからほかほかの白米を茶色くぬめった太い腕で妻がお茶碗によそう。二人が食べ始める。
ぼんやりと彼が妻を見つめる。
女性らしい長い髪はあるが、頭は大きく顔も大きい。眼は小さく口が端まで裂けている。肌は茶色くぬめぬめしている腕も太い。
確かにどう見てもオオサンショウウオだ。
だが、愛しの伴侶でもある。愛する女性である。
(どうしてオオサンショウウオなんだろう)
そんな事を思いながらお造りに醤油を付けて口に含み噛む。美味い。
食卓のテレビでは釣り番組をやっている。彼女はそれを見て大きな口を開けて笑う。
「お魚、美味しそうね」
「うん」
妻が彼を見つめる。ぬめぬめの茶色い大きな顔の端にあるつぶらな瞳でジッと。
「あなたは最近、釣ってないけど行かないの?」
彼の趣味は彼女の言う通り海釣りだ。しかしながらオオサンショウウオが妻である事に気付いてからぼんやりと過ごす事が多くなり釣りをする気も起きなくなった。
それを隠して御御御付を啜りながら彼が素っ気なく答える
「キミに朝からお弁当作って貰うのもね」
彼女が屈託のない笑顔を見せる。
「遠慮しないでよ、お料理作るの楽しいんだから」
「うん」
◇◇◇
彼が会社に弁当を持ってくるのは何となく嫌だった。月末になり給料日前の昼食代を浮かす為の事だが、いつも冷やかして来る後輩の社員が居るからだ。悪気がある訳ではないがもう社会人になって数年経つのに未だに学生のノリを引き摺っている。
そして今日は妻から「ハイ、お弁当」と渡されて持って来た。昼食の時間。案の定、後輩が覗きに来た。
「先輩、今日は愛妻弁当ですか、羨ましいですねえ」
「うるさいよ」
後輩はカエルのようにケロケロと笑う癖がある。この日は妙にそれが耳に残り彼はますますうんざりとしていた。そこへ後輩が首を傾げる。
「でも、前々から先輩のお弁当って魚多くないですか、しかもフライというより甘露煮みたいなの……」
「そうかな」
彼が弁当の包みを取り出す。妻からのメモが挟んであったのでそれを脇に置いて、弁当の包みを解いて蓋を開ける。
後輩が困惑の声を上げた
「おう……何ですかこれ」
「わあ……」
彼も困惑の声を上げた。
今日は弁当箱の中に生の鮎が丸々二尾、笹の葉の上に乗っていた。それを箱ごと持ち上げる。弁当の二段目は白米。
彼が脇に置いたメモを見る。
『おしごと、がんばってネ!』
妻からの可愛らしいメッセージだった。
彼は会社の備え付けの電子レンジで鮎を温め食べた。
◇◇◇
夜、彼が家路に就いた。今日は足取りが重かった。
「ただいま……」
「あなた、おかえりなさい」
妻が笑顔で出迎える。風呂に入り夕飯を食べる。夕飯は鰤の照り焼きだった。
食卓で二人はお茶を啜る。彼は兼ねてから抱いていた疑問を彼女にぶつけた。
「ねえ、キミは……人間なの」
「えっ、どうしたの急に?」
妻は戸惑いながら笑う。
「何かおかしいんだよ……何かが」
「なにがおかしいのかしら」
「前からずっとおかしかったのかも知れないけれど……」
「なにがおかしいのかしら」
「もしかするとこの僕の方がおかしいのかも知れないけれど……いや、そんな事はないと思いたい……」
「なにがおかしいのかしら」
「どう見たってキミは……キミは……キミ……は?」
気が付くと眼の前の妻は彼の背丈よりも大きくなっているように見えた。いや、これは錯覚ではない。家の天井を突くように大きなオオサンショウウオがこちらを笑いながら見ている。そして、彼が小さくなっているような――。
妻がくぷくぷと笑う。いや、嗤っているのだ。
「あなた……ニンゲンが一つ目の国に行けば、二つ目のニンゲンこそが異端者なのよ」
妻がそのオオサンショウウオの大きな口を開けた。彼の眼の前には深く暗い闇が見える。何もかもを呑み込む深く暗い闇が。
◇◇◇
「ええ、申し訳ありません、ちょっと悪い風邪にかかってしまいまして……ええ、大分と良くなってきて、休み明けには出社出来ると思いますので」
通話を終えた電話の傍の水瓶を彼女は覗く。
水瓶の底でオオサンショウウオの彼は身じろぐ事なく、同じくオオサンショウウオの妻を見上げていた。
少し離れた食卓のテレビからは魚の顔の気象予報士が全国の天気を解説していた。
家の外ではカエルの顔のサラリーマンが出社している。トカゲの顔の電車の運転手が走らせる電車にはセイウチのサラリーマン、ガンガゼの頭のバンドマン。
水瓶から離れて家事をする彼女は嗤う。顔の端まで裂けた口がかぷりと開いて鼻歌を唄う。鼻歌の合間にくぷくぷと息を吐いた彼女のその微笑みが何を意味するかは、今の彼にはどうでも良い事だった。
(初稿:2026/06/04)
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