彼の眼の前に座るヴィニーは大きなワニの口を開けて並んだ牙を見せ特大のハンバーガーを頬張った。美味しそうにもぐもぐと咀嚼して呑み込んだ。
本来、善久の知るワニ――クロコダイルやガビアルも見分けもつかないが――ならば、獲物を大きな口でぱくりと一噛みして飲み込むのがワニ。そう、彼女のようなアリゲーターであろう。
アリゲーターの顔に流した前髪の金色のポニーテール、カジュアルな上着に豊満な胸を覆うシャツ、太腿の張ったデニム姿のふくよかな身体の彼女、ヴィニーが善久の視線に気付き店のテーブルの上、トレーの中に載ったボックスポテトを摘まみ脇のコーラを取って飲む。
「どうしたの、ヨシ? 限定バーガー食べないの、貰っちゃうぞ」
「ああ、いや。食べるよ、ヴィネッタ。あむ……美味いね」
「でしょー!」
ヴィネッタことヴィニーが大きく口を開けて笑う。バーガーショップの広告ホログラムヴィジョンには馬の顔の歌手の新曲が流れている。
「ねえ、ヨシ。気軽にヴィニーって呼んでよ」
「いや、たまにはいいでしょ」
「ママが生きてる頃みたい」
「ごめん」
「気にしないでよね。シェイク追加で注文してくる」
腹いっぱい食べて二人が店を後にする。
空を飛ぶ広告の無人機、立ち並ぶ摩天楼の上空に浮遊する惑星間移動の空港とトレインチューブを走る列車の複合ターミナル。道行く人々はキリンの顔のビジネスマン、下半身が蛇の身体のラミアの親子連れ、ホットドッグの屋台を多腕の店主が切り盛りしている。
ヴィニーがホットドッグを小走りで買って来た。善久が呆れて笑う。
「まだ食べるの?」
「だってお腹空いちゃってるもん。ハイ、半分ね」
「ありがと」
二人が並んで歩く。ヴィニーが半分のホットドッグを食べながら問いかける。
「どう、この〝惑星〟にも慣れた?」
「うーん、どうだろ……ニンゲンは居る事は居るけど、キミたちのような獣人族が圧倒的だからまだ吃驚する」
「ふうん。あ! コットンキャンディー買って良い?」
「はいはい」
◇◇◇
人類が惑星間移動を確立させ別惑星の知的生命体と交流を持った頃、『星の海を渡り移住しよう』という政策で文明に黄昏が迫る母星を捨てて人類は散り散りとなった。
鏑木善久もその一人だった。
児童向けの絵本を細々と書いていたが「何となく行き詰まり」、「何となく移住に応募」して遠く離れたこの動物の血を引く生命体が住む獣人族の惑星に居る。
ヴィニーことヴィネッタ・トノは画材屋の店主だ。
客として訪れた善久に珍しいニンゲンの惑星の絵を彼が教える内に恋に落ちた。
善久は、子供は出来るの、と聞いたら、遺伝子センターで何とかなるわよ、と笑ってキス。
そして、今日は二人でお昼を食べて午後から子供たちの為の絵画教室だ。子供たちは熱心に絵を描く。善久の方針は『否定はしない』の一点であったが異星のものはまだ解らないものの方が多い。今日の題材は〝休みの日〟だ。
「ヨシせんせ、かけたよ!」
猫の顔の子供が自慢気に画用紙を見せる。
「どれどれ……」
(うーん、太陽が三つだ……キブヌビーチの人工太陽かな)
思案を巡らせ背中に汗を垂らし善久が子供に微笑む。
「良い絵だね、これは何を描いたのかな?」
「ジュボクのおじいちゃんのいえ!」
(……わからん)
ヴィニーが割って入る。
「コラクくん、上手いねー! 〝ジュボクの眼〟なんてキラッキラ!」
「えへへー、あんがとヴィニーせんせ」
絵画教室を終えて片付けて空いた部屋でコーヒーを淹れるヴィニー。善久はフラフラだ。それでも、この惑星のガイドブックを丹念に読んでいる。
「ジュボク……人工生命体、三つの眼、はあぁぁ」
「ヨシ、私にだって解らない事もあるわよ。ハイ、コーヒー」
善久にマグカップを手渡し、彼女は瞬間冷却のコップに入れてスイッチを押しアイスコーヒーにする。シロップをたっぷりと入れてストローをさして啜る。それを見ながら首の凝りを彼は解していた。
「ワニのキミがストローを啜っても零れないのを考えても無駄かな」
「うーん、あなたの思ってる原始ワニとはまた違うからねえ。こっちにも向こうにもおサルさんはいるでしょう? それとニンゲンも同じよ」
「ふぅむ」
二人は帰る途中でヴィニーの画材屋に立ち寄った。在庫をチェックしながら彼女は奥のアトリエで悩みつつ筆を動かす善久を気にしていた。
「うーん……」
「どう、ヨシ。ううん、カブラギ先生」
ヴィニーが彼を覗き込む。現在、ここの出版社から仕事が舞い込んできた。絵の仕事はあったが『絵本』は久々だ。
善久が彼女に問い掛ける。
「この惑星の普遍的な価値観と俺では違うものがあると思うんだよね」
「〝善〟と〝悪〟?」
「うん。ヒーローが悪いやつを懲らしめる……そういったもの、概念というか。そういったシリーズも描いてたし」
ヴィニーは腕を組んで考えるがすぐに答える。
「原始ワニが原始シカを食べても『そういうもの』よ。逆に私たち獣人の間で殺人が起きても法律では罰せられるけど感情としては、『そういうもの』ね。立ち止まってられないの」
「じゃあ、広場のホームレスのマイキーが亡くなった時はどうだった? 確かにそこに彼は生きていた。炊き出しにも参加したしイベントにも参加した。でも寒い冬に独りで死んだ」
「行政が救おうとしたら出来たかだね……でも彼は縛られない生き方を選んで死んだの。歌が好きだったから最期は皆でお金を出し合って葬式で唄って送ってあげた。この惑星の循環の仕組みはヨシは解らないと思うよ」
それを聞いて善久が頭を抱える。愛しの恋人が支える。
「異星人なんだから無理に順応しなくてもいいの!」
「そういうもの?」
「『そういうもの』よ!」
ヴィニーが微笑んだ。
◇◇◇
夜、二人はヴィニーの家に居る。街から外れた林を抜けた郊外の一軒家。既に彼女に家族はなく両親から継いだ画材屋を一人で切り盛りしている。
部屋に入ると機械が回っていた。
『ごしゅじんごしゅじんそうじおわったしんしつふろまどごみすておわった』
「ハイハイ良い子ねー」
「良いなあ、全室自動掃除ロボット」
「お婿さんに来る?」
「どうしよ、俺は一応永住権あるけど」
「ふふっ、考えておいてね」
浴槽に湯を張っている間に簡単な食事。善久が教えたお好み焼きを作る。とはいえ野菜入りのパンケーキもどきのようになった。ヴィニーは半分はプレーンで、もう半分にマーマレードジャムを塗ってぺろり。
片付けを終えてヴィニーが髪を解く。
「ねえ、ヨシ……」
ヴィニーが彼の上着を脱がす。がっしりとした体型の善久だが肩から脇腹は半分鈍色の機械の身体になっている。ヴィニーがしげしげと彼を見る。
「見慣れた筈だけど、私は肺とか内臓とか売るなんて信じられないわ」
「軽蔑する?」
「若気の至りでしょ」
善久は若い頃に肺一つ、肝臓の一部を闇ブローカーに売り飛ばしてその金で遊んだ。ハッキリ言ってバカだったと彼は今、後悔している。
しかし、そんな身体を受け入れてくれて伴侶になろうと言ってくれている女性が隣りにいる。
ヴィニーが善久の機械の肩を甘噛みする。
「それに、この身体ならちょっと噛んでも大丈夫だからね」
「ちょっとで済むかな?」
「あら、不満かしら」
「キミのお金でこの箇所はこの惑星の永久の身体になったけどね」
ソファに寝そべりキスをする。野生のワニの吻よりは短いものの伸びたそこに平らな顔の人間が口付けをするのは慣れないと少し苦しいものだが異種族ならではのものだ。
「好き……♪」
「俺も……」
「ねえ、がぶがぶ、したい」
「……ちょっとだぞ」
一瞬、息をついて離れたヴィニーが大きく口を開けて――。
「あぁむんッ!」
「ッ!!」
善久の機械の方の肩を噛んだ。痛みはないものの衝撃は凄まじいものだ。傍から見れば完全に恐怖映画のワンシーンだろう。ぎゅう、とワニの牙で思いっ切り噛み締めて、やがて、満足したかのように彼女は口を離す。善久がそっとキスをした。二人は笑う。
◇◇◇
深夜、ベッドに寝そべっているとヴィニーが震えている。それに気付いた善久が起きて彼女に声をかける。
「どうしたの、ヴィニー?」
「……たい」
「ん?」
「いたい」
「いたい?」
「歯がいたいよぉ!」
翌日、デンタルクリニックでヴィニーが椅子に仰向けになって治療されていた。大きな口をロボットの歯科医が診ていき治療していく。補助をするヴィニーと同じワニの顔の獣人の歯科助手が諭していく。
「甘い物の食べ過ぎです。ちゃんと歯磨きをする事」
「はひぃ」
「あと、噛み癖……控えて下さいね」
「はひ」
治療を終えてクリニックを後にしたヴィニーと善久は、彼女が屋台の香りに釣られるのを尻尾を引っ張って止めたり止められたりの繰返しであった。
ようやく公園のベンチに着く二人。ビル街の隙間にひっそりと残された緑だ。時間は昼休み。昼食を宅配する無人機が空を飛んでいる。
「はい、ミネラルウォーター」
「あいがと……さとうがほしい」
善久から渡されたミネラルウォーターのボトルにストローを入れて飲むヴィニー。公園のチュロスの屋台を見つめる様子に彼が呆れた表情を見せる。
「また、痛くなるよ」
「甘いもの食べたい、ヨシとキスしたい」
「虫歯移っちゃうからキス禁止じゃなかった?」
「はぁ……」
深く溜息をついて彼女が水を飲み干した。
「治ったらいっぱい噛んで良いよ、何なら全身サイボーグになろうか?」
「はぁ……そんな事したら別れる」
ヴィニーが思いっきり睨む。
「冗談だよ」
「治ったらね、いぃぃっぱい噛んであげる♪」
「ひえ」
異星で廻り合った異種族の二人は笑い合う、この不思議な関係が一秒でも長く続くように。
(初稿:2026/05/01)
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