Magic Mountain Way

怪異苦情係

一、相手に自分の名を名乗らないこと。

一、相手に話の主導権を渡さないこと。

一、〝苦情係〟以外は絶対にこの電話を取らないこと。

◇◇◇

午前六時。

誰も出勤していない市役所の広報広聴課、通称広報課の片隅で電話の着信メロディが鳴る。往年のヒーリング・ミュージックの電子音は庁内の〝この電話の為だけのもの〟だ。虚空に向かい旋律を響かせていた。やがて、電話は切れる。

午前七時。

早番の職員が出勤すると同時に着信メロディが鳴り響く。それを聞いて職員は苦虫を噛み潰したような表情を見せて自席に座る。節電のために蛍光灯はつけずにデスクライトを使う。電話を無視している。やがて、電話は切れる。

午前七時半。

ある程度、職員が出勤。電話が鳴るもヒーリング・ミュージックのそれは誰もが無視している。やがて、電話は切れる。

午前八時。

「おはようございます」

照明が全てつけられたと同時に一人のポニーテールに銀縁眼鏡の切れ長の瞳に高い鼻の女性が出勤する。

彼女が当番表を見る。『午前担当・節丸、午後担当・嶺原』とマグネットで当番を確認。〝広報課の彼女の席〟に座り水筒のお茶を飲む。離れた場所の朝から鳴っている電話が嗤うようにハウリングして切れる。周囲が溜息をつく中で禿頭の上司が女性に嗅ぎ煙草をケースで差し入れする。

「節丸くん、今日もよろしく。これはいつものだけど紙煙草は喫煙スペースでね」

「課長も宜しくお願いします」

そこへ風呂敷を下げた着物姿の痩せぎすの坊主頭にカンカン帽の壮年の男性が勝手知ったるといったように広報課へ入ってきた。周りは視線を送るだけ。節丸と呼ばれた女性に声をかける。

「蝶さん、お弁当忘れてったよ」

「信二郎さん。職場では苗字でお願いします」

「言っても夫婦じゃないの、ボクはフシマルの家の婿養子だけど。細かい事は気にしない気にしない」

「〝きぬ〟は」

「良い子だよ。ママ似だねえ。別嬪さんなのはそうだけど、もう〝視えてる〟から眼で追って笑ってる……悪意のあるのはボクが〝ないない〟してるよ。煙草は辞めてね」

「善処します」

午前八時半。

朝礼が終わり、広報課の職である節丸蝶がパーティションで区切られた〝係としての自席〟につく。彼女のデスクはたっぷりのメモ代わりの裏が白紙のチラシの切れ端。筆立てにボールペンがずらり。手のツボのマッサージ器具。水筒。そして、中央に置かれた古びた業務用電話。

午前九時。

始業のチャイムが庁内に鳴り響き、同時に蝶の眼の前の電話が鳴る。電子音のヒーリング・ミュージックの旋律を奏でる。蝶が受話器を取る。

「はい、苦情係です」

『苦情係さんか』

「はい」

電話の向こうは肥った中年男性のようで合間にひゅうひゅうと息の音が聞こえる。少々、怒りを含んだ口調で声が響く。

『おたくの市の対応に文句があるんや』

「……承りました、どのようなものですか」

蝶が手ツボを器具で押す。

『山の木の伐採で棲むとこがのうなった動物が可哀想やないか、どないしてくれるんや!』

「恐れ入りますが、それは山林の調整です」

『ちょうせい?』

「木々が多いとかえって森は育ちません。生物は循環するように出来ています。密集し過ぎた山林に人が手を入れ木を間伐し、隙間を入れると残った木に光が行き渡り集中して育ちます。育った木が根を張り、土壌を強固なものにして水も溜められて草木が育ち木の実も増えて多様な環境となります。人間と動物との適正な距離を保つ事が互いの為です」

『……つまり、山で食いもんに困らんと』

「そのようになります」

『そうか、それやったらもう山からおりてニンゲンをわざわざ喰わずに済むな、ハッハッハ!』

電話はそれでガチャリと切れた。

蝶が溜息をつく。嗅ぎ煙草をケースから手の甲に載せて鼻から吸う。指で押さえて首を一回し。

午前十一時。

「コピー機、調子悪いんですよね」

「叩きゃ直るよ」

「課長のハゲ頭叩きますよ」

広報課の業務は回る。

「すいません、ハンコお願いします」

「はい、広報課です」

「これ観光課さんから資料貰ってきて」

電話が鳴る。ヒーリング・ミュージック。蝶が取る。

「はい、苦……」

『ウァアァァアアアァァァアアァアアァァアアァアアアァァァァアァァアアァァアアアアァ!!!!!』

耳を劈く高い叫び声とノイズ。蝶が少し受話器から耳を離して聞いている。それが収まったところで声をかける。

「こちら苦情係です」

『……うるさいバイクに困っているんです』

悲しげな女性の声だった。一方的に受話器の向こうの彼女が捲し立てる。

『人が眠っている時にやって来て花火をしたり騒いだりもう迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑迷惑ノロイコロシテヤルァアアアァアアァアァアアァァァアァアアアア』

再び叫び声が響いた。受話器から外へと響くぐらいの大きなものだった。誰かがパーティションの間から覗いてきた。

「うるさいよ!」

「やめとけ小清水……関わるな」

蝶は外野の同僚たちを無視してゆっくりと電話の向こうの相手に問いかける。

「落ち着いて下さい。暴走族は警察に対応を委ねます。そして、こちらで承れる範囲で〝あなたの対応〟を致します」

『……ワタシノ、タイオウ?』

「どちらでお眠りになっているかお調べ致します」

『……』

「暴走族の対応に関して確約は出来かねますが、御供養は致します」

『アリ、ガ、トウ』

電話は切れた。

◇◇◇

午後十二時半。

「蝶さん、何で苦情係を希望されたんです?」

昼食の時間、屋上の休憩スペースで蝶の後輩の嶺原文美子がツナサンドを食べ終えて、トマトジュースを飲みながら訊ねた。文美子も蝶と同じく苦情係だが交代制だ。

隣で夫の手作り弁当を食べつつ蝶が考える。鶏の唐揚げを食べ、白米をもぐもぐと。そして答える。

「公務員としての安定?」

「そんなもんですかねえ……まあ、緊急時は実務もありますけど」

文美子が呆れた顔を見せる。

「同じ〝視える〟なら祓い師とか……蝶さんのご実家そうですけど」

「父は『死んでも代は譲らん、化けて出て、続けてやる』って言ってるけどね。俗物よ」

きっちりと米粒一つ残さず食べ終えて水筒のお茶を飲む。

「一服しますか」

文美子が口元に指を二本翳す。蝶が溜息をつく。溜息は彼女の癖になっている。

「旦那が娘に悪いから辞めろって。自分だってヘビースモーカーだったのに妊娠以来変わったわ……でも、料理は上手くなった」

「アタシも辞めよっかな……いい人は居ないけど」

すると、二人の腰のポケベルが鳴った。慌てて片付ける。それはスクランブルの合図だ。

『〝コウホウカデンワイジョウ〟』

広報課に二人が駆け付けると市民は退避、進入禁止のバリケード、禿頭の課長が陣頭指揮を取っていた。振り返った課長が手招きする。蝶が訊ねる。

「状況は」

「レベルは〝乙〟」

文美子が「ゲ」と明らかに厭な声を出した。バリケードの脇に顔が土気色の同僚が仰向けに倒れていた。課長が続ける。

「小清水くんが鳴りっぱなしの苦情係の電話にキレてな、止める間もなく出ちまった。そこから乗っ取られてぶっ倒れた。受話器から湧いて出てきた白いぶよぶよの禍に覆われて魂は肉体にないだろうな。何とか身体だけはここまで引っ張って来たが魂が乗っ取られていいように使われてる」

向こうを見ると苦情係の周りから広報課全体にまるで消火器の薬剤を撒いたような泡が散乱していて蠢いている。いや、意志を持って手の形になってあちらこちらへと伸ばしている。苦情係のところで人型のぶよぶよが叫んでいる。

ぶつぶつと蝶が考えてから課長と文美子に指示をする。

「文美子はぶよぶよを〝法具〟のライターで溶かして。私は魂を電話の向こうのものから引きずり出す。肉体への定着の術は課長。宜しくお願いします」

無駄な言葉はなく淡々と進む。

文美子が休憩用の手提げ鞄からオイルライターを取り出した。彼女が擦ると炎が高く上がった。それは太く長い龍の首をしている。

「さーて、やったりますかー!」

文美子のライターからの炎が猛獣使いの鞭のように伸びて撓りぶよぶよに当たって蒸発させていく。じゅん、と何かが焼ける厭な臭いが漂う。徐々に小さくなったそれの合間を縫うように歩き、自身の仕事場へ辿り着いた蝶。眼の前には人型のぶよぶよが震えている。口の辺りが開き、にちゃりと糸を引いて悍ましい声を出す。

『ドオシテオレバッカアリコンンンンンナメニコロシシテヤルゥウウウ』

「苦情だけで済ませて頂けたら良かったんですがね」

『オマエモミチチヅレレレダアアァワォウェアアアアアアアア』

「〝おかえり下さい〟」

蝶が呟くと同時にメリケンサック型の法具を嵌めた右手がストレートをキメた。ぶよぶよの頭が崩れて、出た光る塊を取る。課長に投げ渡してそのまま寝かせていた小清水の口に入れる。しばらく経って彼は激しく咳をした。ひとまずは大丈夫だろう。

◇◇◇

午後四時半。

ひと騒動あった後も行政は動く。蝶は本来なら午後はデスクワークだが担当の文美子は事後処理、課長は各課へのお詫び行脚だ。

掃除を終えて広報課の苦情係の電話が鳴る。

「はい、苦情係です」

『あの……さっきはごめんなさい……バイクの件で』

聞き覚えのある声だった。電話の向こうの彼女が続ける。

『やっぱり成仏できないんです……』

「親類縁者の方がいらっしゃらないと言う事ですか」

『はい……でも、あなただったら私をあの世に連れて行ってくれるかも。来てくれるなら……名前を教えて』

「申し訳ございません。個人情報保護の観点から氏名は教えられない規則になっております」

『……えっ』

「あくまで業務ですから、教えて呪われ取り憑かれるのは御免です」

『チッ』

「……」

蝶が受話器から耳を離す。

『チクショォォオオオオオオオォォオモウチョットダッタノニヨォォォオオォオオオォォォォォォォオオオオァアアアアアアアアアアァァォオオォァ』

怨嗟に満ちた叫びで電話は切れた。

チャイムが鳴る。

午後五時の終業の音だ。蝶が広報課を後にする。

◇◇◇

午後十一時五十九分。

苦情係の電話が鳴る。消灯後の暗闇の中で、誰も居ない庁内で。

鳴り響く電話の電話線の先を辿ると、パーティションの端で鋭利な刃物で切られて固結びにしてあった。

電話が鳴る。鳴る筈のない電話が今日も鳴る。

(初稿:2026/03/04)

 

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